みんなの引越し体験談

原宿でカメラマンの助手生活をしてたけど夢諦めて香川の実家に戻った時の引越し劇

私は23歳の時、それまで住んでいた原宿のマンションから、一度実家のある香川県に戻る引越しをしました。

写真家を目指して状況しプロのアシスタントをしていましたが、殴られる蹴られるなんて当たり前の世界で、平和主義者で気弱な私はどうしてもそれに馴染めずに辞めることにしたんです。

アシスタントに用意されていて原宿のマンションは辞めた翌月には出ないといけなくなり、とてもバイト生活で東京でやってく自信がなかったので今後の生活を迷っていました。

「とりあえず戻って家を継げばええきん」という父

※「ええきん」とは讃岐弁でして、標準語では「いいんだよ」という意味です。

私を心配した両親が「とりあえず実家に戻って家を継げばいいきんな」と促してくれ、それにしぶしぶ従う形で引越すことを決めました。ちなみに、実家は桃農家で、桃以外にも高菜なども作っています。

ただ、そのときの私はとても投げやりな気持ちになっており、あまり前向きに引越しの準備をすることができませんでした。そして、その怠けた気持ちが引越しに関する数々のアクシデントを引き起こすことになってしまいました。

いいかげんな荷造りが引越し後にさらなるダメージを

まず、しんどかった思い出として忘れられないのが荷造りです。弾かなくなったエレキギター、1度読んだらもう読まないマンガ雑誌、壊れた家電製品、着なくなった服、大量の小説等、荷造りにおいて余計と思える物を処分するのが一苦労でした。

とりあえず全部出して処分しようとおもったのですが一人なのになぜこんなに物があるのだろう?というくらい部屋の中はごちゃごちゃしてどこから手をつけていいのか分からない状態になってしまいました。

ヤフオクで処分すれば良かったと思うも後の祭り

それらを整理するのにとても時間がかかってしまい、全部自分のものなのに夜中に「終わらない!」と絶叫したこともありました。

そのころはまだ私も若くて引越しに対する知識が無知で上手な荷造りがまったくできずに、何度か夜中に叫びながらも荷造りをなんとか終わらすよう引越しの日ギリギリまで大慌てでした。結局、余計な楽器などの荷物は後輩にあげたりと1円にもならずに処分してしまうことになりました。

引っ越し会社もスムーズに決まらない

また、引越し会社を決めるのもまったくスムーズ行きませんでした。引越し料金見積もりサイトを利用したまでは良かったのですが、その影響か各社から営業電話がたくさん鳴り響いたのです。

切ったそばからまた次の営業の電話がかかってくるので荷造り並みに進まずなかなか会社を決めることができません。

テンパってしまい見積もりを頼んだ意味がない・・・

どれも「どうか我が社で!」と宣伝されてしまい、私は「結局のところどこが一番お得なの!?」と、完全にテンパってしまいました。しかたなく対応が一番丁寧に感じられた引越し会社にギリギリでようやく決めました。いくつか見積もったのに最後は金額より対応の良さで決めてしまった感じです。

距離がだいぶ遠いせいもあったり、見積りより荷物が増えてしまったこともあって引越し料金は一人暮らしのわりに高く6万円を超えていました。

ちゃんとした最終の荷物を基準に他業者と比較していませんのでわからないのですが、もしかしたらもっと安い引越し会社があったのかもしれません。ですが、それをするだけの心の余裕があの頃の私にはまったくありませんでした。

最後の最後で大家さんに言われた一言とは!?

そして引越し日当日、荷運びやトラックへの積み込みは業者の人に任せたので上手くいったので、安心していたところ最後にオチがつきまし。それはアパートの大家さんへ鍵を引き渡すときです。引越し準備の忙しさにかかりきりだった私は、出ていく部屋の掃除を疎かにしていて・・・

そのため、部屋が埃だらけでとても汚くなってしまい、それを見た大家さんが「あれれ、これじゃ話が違うよ困るよ。ルームクリーニング代を2万円もらうことになるよ・・・」と、冷やかに言われてしまいました。

都会生活に疲れて投げやりな気持ちで行った引っ越しですが最後はクリーニング代を請求されて終わるという笑うしかないドタバタした引越しになりました。

でもこの経験があったからこそ次の引越しからは段取り良く行うことができました。都会での仕事ははうまくいきませんでしたがこのときの引っ越しの経験は決して無駄ではなかったです。

今は香川に戻り、地元で親と一緒に野菜を作る修行中です。自分は都会や師弟関係の厳しさに馴染めなかったので今はむしろイキイキしています。